3月 18


 ★は高い所が好きではない。

2008/03/18

 ということは,このBlogに既に何回か書いている。嫌いな訳ではなく,好きではないだけである。この辺りを間違えないで欲しい。どちらも同じではないかと言う人もあるだろうが,それ違う。“嫌い”と“好きではない”には大きな違いがある。
 例えば,どうしても嫌いな人と仕事をしなければならないことはあるが,好きではない人とは仕事にもならない。花占いのようにノンパラメトリックにはいかない。

 子どもの頃から高い所が好きでなかった。両親もそう言うので間違いないと思う。特別な理由はない。ありきたりなトラウマもない。地に足が着いていない状態が何となく好きではない。と書いて,自分の胸が痛むのは何故か(勿論,理由はひとつ自明だ)。
 だが,保育園の卒園アルバムの“将来の夢”欄には“パイロット”と書いていた。少年がかくも無謀なる夢を描いたのには理由がある。そもそも“パイロット”という名詞は両親が教えてくれた言葉だ。当然ながら大人の言葉である。少年はただ飛行機が好きなだけで,それを操縦したいと思っていたに過ぎない。動機は単純かつ明快だ。だから,そう両親に言ったところ“パイロット”という単語が返ってきたのである。だから,少年の夢は“パイロット”となった。
 少年は,飛行機が空高くを飛んでいるとは微塵も思っていなかったし,ましてや,自分が乗り込んで操縦すると思っていなかった。なぜなら,少年の身の回りの飛行機は空高く飛ぶことはなかったし,乗り込んで操縦できなかったからだ。近所の公園には通称“天馬”と呼ばれるプロペラ輸送機があった。勿論,これはもう飛ばない。だが,そのフォルムは少年を魅了するに十分だった。少年が愛した飛行機といえば,地面を走る物か,ゴムあるいは人力によって飛行(滑空の方が適切かも)する物かのいずれかであった。スネオ君のようなラジコン飛行機は見たこともなかった。
 つまり,少年はそうした“身近な飛行機”を操縦したいと思っていただけなのだ。少年と両親の認識には大きな差があったのである。この誤解に気付いたのは★だけである。両親には今後も話さないだろう。コミュニケーションは深長である。

 今から48年前,米空軍Joseph Kittinger大尉(当時)は,上空102,800フィート(約31km)から飛び降りた。この記録はまだ破られていない。瞬間最大時速で988km。地上に到達するまで僅か13分というから驚きだ。まったく重力加速度というヤツは馬鹿にできない(万有引力に置き換え可)。文字通り,命の重さを知る訳である。


 その時に撮影された映像はとても美しい。特に,飛び降りた瞬間の青い地球が画面の中を何度も回転している映像が素敵。この高度になると,もう宇宙にしか見えない。因みに地球の大気と宇宙空間の境界は80-120kmと言われているので,少なくともまだ3/4足りない。

 これだけ高ければ,好きとか嫌いとかは言えなくなると思う。そこにはただ青い地球が在って,その青に飛び込む。その瞬間を想像して,鳥肌が立つ。でも,少しだけ心地が好いのではないかとの予測がある。

 勿論,★はいくら積まれても飛ばない。少年の頃の夢は金では買えないからだ。




3月 06


 3月になったけれど,まだ寒い。

 週末は暖かな行楽日和となるとは,今朝の天気予報。土曜からは研究会で静岡。暖かくなって欲しい。ゼミ生の一部は苺狩りに繰り出すらしい。春である。

 鼻が良いので匂いには敏感だ。少なくとも頭や目より,鼻が良いという程度だけれど。雨の匂いを嗅ぎ分けることができるし,メジャな商品に限られるが煙草の煙から銘柄を当てることもできるし,女性の匂い(香の方が良いかもしれない)には頗る弱い。

 外食をした際に気になるは,御手洗いの匂い(御食事中の方は失敬)。店の衛生レベルを判断するためにという理由では全然ない。流しに備え付けてある石鹸の匂いが気になる。周囲に訊いてみると,あまり気にしている人はいないらしい。★はとても気になる。
 ミューズのメディケイテッドな匂いやレモン石鹸のメランコリックな匂いが好ましい。そっと手を差し出したくなる。だが,あの色鮮やかな緑色の液体の石鹸の匂いは苦手。もう最悪に苦手である。その店に入ったこと自体を後悔するほど。どんなに素敵な人と食事をしていたとしても台無し。絶望的だ。

 だから,良い匂いの石鹸がセットされている店は何だか好感度が上がる。そんなに些細な点なのに急上昇,気圧が下がって,大気圏を突破するかもしれない。とまで書いたら言い過ぎだと思う。で,その中でも★が特に好きな匂いの石鹸がある。


2008/03/06

 SARAYAの石鹸。この匂いがとても好きだ。

 御手洗いに立って,SARAYAの匂いがしようものなら,それだけで幸福な気分になる。ロゴマークのようににっこりと微笑んでしまうこと請け合いである。大して美味しくもない店であっても(失礼だな)もう一度,足を運ぼうと思う。どんなに帰りたいと思っている席でも,もう少し煙草を吸って我慢しようじゃないかと寛大な気分になる。デートだって大成功だ(無論,そんなことはないが)。兎に角,そういう作用を持っているのである。少なくとも★にとっては――

 皆様も気にしてみてください。もしかしたら,最高の夜になるかもしれない。濡れ手に泡である。御後が宜しいようで――


2月 26

 まぁ,↑のオッサンの御尻をクリックしてみてください。

 RECRUITが開催している1click-Award。発想が良い。瞬発力抜群。

 TOPページで,オッサンが御尻に刺さったカーソルを抜いて,そのカーソルがそのまま操作可能になる演出には脱帽。つい貼ってしまった。

 呼吸や健康のように普段は意識しないクリック。意識した瞬間に重くなる。途端に飛べなくなってしまいそうだ。思考も同様。1クリックの重さを知る瞬間である。

2月 25


 土曜日にライオンのような風が吹き荒れていた。

 春一番だそうな。研究会の途中,ボアソナードタワーが轟々と揺れて,とても驚いた。窓の外を見ると,空が黄色く烟っている。何が舞い上がっていたのだろう。春の色が視えた訳ではないと思う。研究会は無事に終了。3月の研究会に向けて,ライオンのように進むだけ。

 日曜日にKenの所でPISTを弄ってきた。この日も風が強かった。何番目だろう。

 PROGRESSIVEの黒。フリーギア仕様で到着したらしく,固定ギアに仕様を変更したいとのことで呼び出された。自転車を弄るのは愉しいし,彼が喜ぶ姿も楽しい。大小のモンキーレンチを使い後輪を外し,左右を反転して付け替える。
 しかし,外すのは楽なのだけれど,付けるのは難しい。チェーン引きとナットがあり,後輪を左右4点で留めているから。左右のバランスを取りながら締めていくのだけれど,コレがとても難儀。4箇所を同じ回数ずつ,順々に締めていけば,バランスが取れるのかというと,そうは問屋が卸さない。では,直販ではどうか。意味が解らない。試行錯誤。世の中,絶えずバランスを見失わないことが大切なんだ。と言いたくなる。

 例えば,平面が4角形で四隅にネジがある場合は,まず対角線に沿ってネジを締める。どのネジも完全に締め切ってしまってはいけない。一度,仮留めのように全てのネジを締めた後で,もう一度,順々に締めていく。でないと平面を正確に固定することはできない。さて,何故だろう。理由を考えてみましょう。ヒントは,平面が3角形の場合を考えること。

 Kenが最寄り駅まで新車に乗って送ってくれる。ペダルの一踏み,一踏みが愉しそう。笑顔が回る。車輪も回る。名前は未だないそうな。我輩は猫であるとは言わないだろう。猫ではないからだ。素敵な名前を付けて欲しい。

 次回は走りに行こう。
 と,その前にスプロケット戻し工具を買わなきゃね。東急ハンズで売っているらしい。安全運転第一。
 そうそう,今年の6月までに道路交通法が改正になります。自転車に乗る人はチェックしてくださいな。詳細は,RICK COG Blogの方に更新しようかな。





2月 15






 基本的に物持ちが良い。では,例外的に物持ちが悪いかというと,そんなこともない。靴下や下着の物持ちが良くないくらいだろう(当たり前だ)。

 物持ちの良さは母親譲りで,家の中には30年以上も前の扇風機や体重計やらが普通にある。扇風機は何度も修理して使っているけれど,体重計はもう使われていない。ただ“ある”だけだ。そろそろ自分の本来の役割を忘れていることだろう。体脂肪率なんて以ての外だ。人間もだいたい30年くらい生きると,本来の役割を忘れるので,大きなことは言えない。

 話が逸れた。先日の焼肉で話題になって,載せ忘れていた動画を載せておきます。


 ていうか,誰が撮った(盗った)んだろう,この映像。
 字幕のように聴こえるのは,感覚における視覚優位性のためだと思う。日本語がモーラで音を捉えることも影響しているだろう(なんて書くと心理学者っぽい)。

 日本語に“勿体無い”という言葉がある(今は世界的に流行っているらしい)。“勿体”は“物体”の略記。仏教の言葉で“あるべき姿,容”などを示す。つまり,本来,あるべき様ではなくなることが“勿体無い”ということ。“勿体無い”には“畏れ多い,恐縮する”といった意味もあり,より原義に近い。
 たぶん,“物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている”という意味の方が後発。だから,環境問題について“勿体無い”を使うのは勿体無いと思う。ましてや,英語の“waste”とは似ても似つかない言葉だと思うのだけれど,どうだろう。

 でも,この動画を観て,すぐに“勿体無い”と思った。キーボードは,きっと本来の役割を全うしたかったことだろう。勿体無いことである。







2月 08

 朝から寒い。大学は入試期間なので,夕方からしか入れない。大学院棟に居を移して,仕事,仕事。ちっとも片付かない。気が抜けている所為だと思う。あまりひとつの作業に集中しないように集中している。

 明日,明後日は雪の予報。確かに,雪が降りそうな寒さ。受験生は大変だろう。受験生以外も大変だろう。局所的に大変な部分があれば,その周囲も影響を受ける。エントロピィの問題。

 現在,ピスト部(仮)の活動を着々と進めている。水面下での活動。別段,水面下で活動している訳ではないのだけれど,そう書いた方が雰囲気が出るだろうという配慮。月曜日には,記念すべき第1回の部会を開催する予定。だから,空模様が気になっている。詳細は後日。部員は随時,募集中。興味のある方は是非,是非。
 
 そろそろCOG magazine#2が出るし,盛り上がってきたなぁ。自家発電。環境には優しいけれど,身体は温まらない。困ったものである。

                

1月 10



 ――では,全然ない(携帯からだと動画は観られません)。


 初めは爆笑した。だが,★の周囲にはオッチョコチョイな人が多いので,段々と心配になる。どうしたって心配のしようはないのだけれど,心配性。

 因みに,“オッチョコチョイ”は東京の方言。“オッ”は,驚いたときなどに発する“おっと”と同じ感動詞。接頭語の“お(御)”で,後続する“チョコチョイ”に掛かるとする説もある。“チョコ”は,あちこち動き回る様子を表す“ちょこちょこ”のこと。“チョイ”は,僅かなことや簡単にできるさまを表す“ちょいと”や“ちょっと”のこと。
 本来的には“生意気な,軽佻な”の意。現代語だと“粗忽物,うっかりしている人”の意になっている。如何にも落ち着かない音。そろそろ落ち着いて欲しいものである。

 さらに,因むと,森永“おっとっと”は,商品名がなかなか決まらず,飲み屋でまで議論をしていたところ。杯から酒がこぼれそうになり,思わず“おっとっと”と口を吐いたことから決まったらしい。飲み屋で議論しているから決まらないのだと思う。

 ええっと,何の話でしたっけね。

 そうそう,気を付けましょう。誰とは言わないけれど――


1月 03


 ぼんやり休憩中。

 部屋はTVもなく片付いているし,iPodの液晶には電池マーク。
 昼間なのにとても静か。正月が微笑んでいるかのよう。
 両親は箱根駅伝を観ている。御節料理にも飽きて,カレーパンが美味。

 朝はあまり集中力がなく,今頃になり何とか集中してくる。
 大学に居る時よりも能率が悪いと感じる。気の所為かもしれない。

 東京の空は澄んでいる。

 雪嘯と一緒にふらりと出掛けたい。
 道路が空いている裡にと思うけれど,あと一息。


 んん~,何だか無性にペダルを漕ぎたい。
 しかし,カッコイイなぁ。




11月 27


 日曜日の朝,10:03東京発ののぞみ211に乗って大阪へ。

 高校の同級生,Mitsuharuの結婚式。新幹線で新大阪に到着したの昼過ぎ。山陽本線に乗り換えて1駅。Ryouheiと一緒に大阪駅に降り立つ。
 快晴の上,小春日和。絶好の結婚式日和。未だ結婚式をしたことがないので,信頼性のあるデータではないかもしれない。要するに,気分は悪くないということ。

 会場のホテルの前で,前日入りしていたKameと合流。早速,受付を済ませ,挙式までの時間は3人で歓談。特に話す内容はないけれど,沈黙するには時間が短い。何かを待っている時間は嫌いじゃない。少なくとも何も待っていない時間よりは使途は明確。無駄な時間は自分で思っているよりは少ないもの。それが時間を無駄に使わないために知っていないければいけないこと。Takuyaもぎりぎりで合流し,チャペルへと向かう。

 式が定刻通り始まる。ドアが大きな音を立ててしまる。まるで少しでも逃がしたくないものがあるかのようだ。祈りを捧げ,賛美歌を謳い,誓約の証となる。諸人挙りて,祝福。
 Mitsuharuの緊張で貼りついた笑顔を見ると幸福な気持ちになる。参列者も皆,笑顔。KameもTakuyaもRyouheiも笑顔だ。きっと★も笑顔だったに違いない。或いは,一般的には笑顔に視えない顔をしていたかもしれないが,アレでも精一杯の笑顔だったのだ。
 幸福が眼に視えることが稀にある。それが今なのかもしれないと思う。フラワシャワーはハラハラしているし,フェザーシャワーはフワフワだ。
 普段は視えないだけで,日常にもこうした幸福は存在している。視えないことと存在しないことは別物。笑顔が笑顔に視えないこともあるように,眼に視えるものは限られている。つまり,幸福には高感度のセンサが必要だということ。

 披露宴が始まり,丸テーブルを囲む。新郎新婦のすぐ傍。新郎がナイトだとしたら左手前方に一歩の付近。今日はこのテーブルのように角を立てずにいようと,椅子へ深めに座り直す。
 とても賑やかな披露宴。東西で違いがあるかもと思っていたけれど,なし。勿論,披露宴もしたことがないので,確かなことは云えない。料理を美味しく頂戴し,アルコォルは控え目に。

2007/11/27

 MitsuharuとKumikoさん,本当におめでとうございます。心から祝福します。Mitsuharuと握手を交わして,会場を後にする。しっとりと汗ばんだ手が握り返してきた。この手を握るのは何年振りだろうと思う。

 宴の後,Kame,Takuya,Ryouheiの4人で大阪駅前の御好み焼屋へ。大阪を堪能しつつ,四方山話。ギリギリまで飲んで話して,19:59新大阪発ののぞみ158号に飛び乗り帰京。
 TakuyaとRyouheiは夜の大阪の街へ消えて行った。Kameと★はボーリングのピンみたいに自分の立ち位置を確保するのがやっとの新幹線に揺られた。
 窮屈な姿勢のまま一日を反芻する。電光掲示板のように明滅しながら,出来事が次々に頭の中を流れていく。何故,この日の握手は,以前のそれと比べて不快でなかったのだろう。何が違うのか。何が変わったのか。

 ひとつとして同じモノはないし,何一つ変わらないものなどない。全てが同じではないとしたら,同じとは何だろうか。幸福とは何か。幸福でないとは何か。結婚する前と後では何が違うのか。何が同じなのか――

 そんな集合と補集合のケーススタディを繰り返す裡に,列車は東京駅へと滑り込んだ。



11月 23


2007/11/23

 ふと空を見上げる。そんな瞬間が誰にでもある。

 見上げた空には何もないことを知っているのに,視線を空へと放つ。何かを見上げるという動機で仰ぎ見ることよりも,ぼんやりと見上げることの方が多い。子どもの頃からその比率は変わらない。

 子どもの頃は善く下を向いて歩いていた。比喩ではなく。

 今となっては,下を向いて歩いていた理由を思い出すことはできない。たぶん,敷石の数や横断歩道の白い部分を数えるというトゥリビアルな理由だと思う。この時期ほど地面を愛したことは恐らくない。そのくらい下を向いて歩いていた。
 同様に,空を仰ぐことにもまた大した理由はなかったのだと思う。下を向き過ぎたことへの反動という程度。そんなありふれたレジスタンスだろう。視線が遠くへ向かう。その運動にこそ意味があったのかもしれない。だが,地面にそうしたように,空を愛したことは未だない。

 秋は人を白く,そして,思慮深くする。鮮やか落葉が忍ばせる冬の気配がそうさせるのかもしれない。浅はかな★には御誂え向き。

 ふと空を見上げた。秋空はストライプ。



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