8月 25



 飲み会の日程を間違えて店まで行ってしまった。前日に間違ったから良いものの,あまりの呆けぶりに閉口。夏休みとはいえスケジュール管理が杜撰過ぎる。反省。来週からは2学期が始まるのでそろそろ準備をしなくては。

 話は変わるけれど(いつも急激),以下の動画を観て欲しい。


 そう。彼女は“Emily”。CGだ。人間ではない。これには結構,驚いた。★はCGに関しては目が肥えている。逆に,人間関係や生地や常識とかは駄目だ。ほとんどのCGは“ああ,ココがCGね”と解る。けれど,“Emily”は“オカシイな”とは思っても“CGね”とは思わなかった。だいぶ,技術が上がってきたようだ。

 University of Southern Californiaの“Institute for Creative Technologies”が開発した実写画面を元にしたCG技術“Image Metrics”を用いたCG。モーションキャプチャと“Image Metrics”を併用したらしいので,筋肉の動きはキャプチャデータに依存しているとしても,テクスチャの技術は向上しているなぁ,と関心。動画の解像度もそれを助けている。HVならあっさりと見破れたりして。Skypeで会話している相手が“Emily”だったら,絶対に気付かないだろう。

 こういうCGを観ると子どもの頃に読んだ小説を思い出す(タイトルは思い出せない)。CGが光学迷彩として登場するSF物だ。CGの女優が主人公の映画なんかもあったような――そうそうCGアイドルなんてのもあった。いずれもCGはリアルと対比させられる“虚構”として考えられている。
 これだけCGが進歩してくると,遠くない未来に映像の信憑性を疑わなければならない時が来るかもしれない。ウチの母などは既にCGの弁別ができないので,かなり疑っている様子だ。偶に,怪しい映像は確認されるし,実写だと信じていたのにと腹を立てていたりする。
 しかし,CGを現実に近付けようという研鑽はあまり面白くない。CGが現実と寸分違わぬ映像を構築できたとしても価値があるとは思えないからだ。それこそ兵器にしか使えないと思う。

 もう少し解り易く。例えば,絵画について考えてみよう。ほとんどの人は写実的な絵画を見ると上手い絵だと言う。まるで本物のようだと。しかし,絵画の価値が写実性だけにないことは明白である。現実と“同じ”であることが価値ではない。
 絵画だからできる表現技法(つまり,現実的にはありえない描写)による芸術性は認められている。単純に現実と同じ像を保存したいのなら写真の方が効率的だ。Goghの描いた“ひまわり”は美しいけれど,Goghが“ひまわり”を描くのに用いたの“ひまわり写真”があったとして,それは美しいだろうか。
 さらに映像に話を進めよう。最近ではHVと呼ばれる高精彩映像が撮れるようになったが,それでも実際に眼球を通して見る像と同じではない。むしろ,最近のHVカメラだと人間には見えない映像を撮ることができる。コマ数は圧倒的に映像の方が低い。現実に近いという価値はあまりないように思う。記録としては面白いが,どのような記録も加工が可能である点で完全ではない。

 どうもCGは現実と見紛う方が凄いという思い込みがあるような気がする。確かに凄い点がないとは思わないが,だからなんだと思ってしまう。その思い込みの根底には“現実”に対する信仰のようなものがあるような気がする。
 CGにしろ,ゲームにしろ,インターネットにしろ全て実現象だ。現実との違いは何か?単に物理的な接触がないことを批判するのは見当違いだと思う。目の前にない現実について考えることができる能力は人間の最も優れた能力のひとつだ。

 ここ10年くらいで聞かれるようになった“現実と空想の区別がつかない”といった言説には呆れてしまう。現実と空想が区別できているなら,なかなかできない言説である。きっと新しい世界を認識していないだけだと思う。見たいモノを見るのは個人の自由だけれど,見たくないモノも見ることこそが現実だと思うのだが如何か。



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